ひとつに集中する気づきから「すべてが同時に存在する気づき」へ―集中注意とオープンモニタリング

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ひとつに集中している気づきから、
すべてが同時に存在する気づきへ

私たちは普段、何かひとつの対象に注意を向けながら過ごしていることがあります。

・ 相手の表情
・ 誰かの言葉
・ 自分の、身体の違和感
・ 頭の中の考えごと。

それによって、

何かが気になり始めると、
その対象が意識の中心を占めて、
ほかのことが見えにくくなることがあります。

たとえば、人からどう思われているのかが気になるとき。

相手の表情や反応ばかりを追いかけ、頭の中では「どう思われているんだろう」「失敗しないようにしなきゃ」といった思考が続いているかもしれません。

そんなとき、

私たちの注意は「ひとつの対象」に強く引き寄せられています。

一方で、

何かひとつに集中・意識を固定せずに
いろいろなものが同時に存在していることに気づいている

という、別の注意のあり方もあります。

それが「オープンモニタリング」と呼ばれるものです。

今回は、このふたつの注意のあり方を

「単色」と「グラデーション」

というイメージで考えてみたいと思います。

1.集中注意 ― ひとつの色が世界を占める

集中注意(Focused Attention)は、

特定の対象に注意を向け、

それを維持する注意の働きです。

たとえば、

・ 呼吸に意識を向ける
・ 目の前の作業に集中する
・ 相手の話をじっくり聞く。

こうした集中注意は、日常生活に欠かせない大切な能力です。

ただし、不安や緊張が強いときには、
「その対象:一点、ひとつのこと」

から注意を離しにくくなることがあります。

そうやって

  • 気になったことばかりを考えつづける
  • 頭の中の考えごとが止まらない
  • 身体の緊張や違和感ばかりに気づく
  • 不安なことを繰り返し考えてしまう

こうした状態では、

注意がひとつの対象に固定され、
「それだけしかみえない」
ほかの情報が意識に入りにくくなります。

そのような意識の使い方をしているとき
ひとつの結論しかみえない
それ以外の選択肢が浮かばないなど

・ 白黒思考
・ 視野狭窄(トンネルビジョン)

まるでトンネルの中から外を覗いているように、
周りの視界(周辺視野)が狭まり、
正面の限られた部分しか見えなくなるような意識状態

にもなりがちです。

これを色でたとえるなら「単色の世界」です。

本当は、いろいろな色が存在しているのに、
ひとつの色だけが視界を占めているような状態。

たとえば、「不安という赤い色」が意識を占めると、

そのほかのいまここのありよう
周囲にある穏やかな景色や、
身体の心地よい感覚などに気づきにくくなります。

2.オープンモニタリング ― すべてが同時に存在する

オープンモニタリング(Open Monitoring)は、

特定の対象に注意を固定せず、
今この瞬間に生じているさまざまな経験に、
開かれた形で気づいている注意のあり方です。

たとえば、いま、こうやって、
この文章を読んでいるわけですが、

文章の意味だけに集中するのではなく、
少し注意を広げてみると……

文字を映し出している画面全体

パソコンやスマホが置かれているテーブル

そのテーブルが置かれている空間

周囲に聞こえている音。
視界に入っている景色や光。

自分の身体が椅子に触れている感覚。

呼吸の動き。

頭の中に浮かんでくる思考。

そして、それらを経験している自分自身。

「いろいろ」なものが、
同時にここに存在しています。

そのなかの「どれか・ひとつ」を選ぶ必要はありません。

どれか「ひとつ」を消そうとする必要もありません。

ただ、さまざまな経験・表れが
いま、ここに、同時に「いろいろ」ある

という事実(いまここ)に気づいてみます。

色でたとえるなら「グラデーションの世界」

赤だけ、青だけ、緑だけでなく
実際には、赤も青も緑も黄色もある。

ひとつの色だけが世界を占めるのではなく、
さまざまな色が同時に存在しています。

「自分自身」の思考、感情も、
そのグラデーションの一部である

※ここでいう「同時に気づく」とは、すべての情報を同じ鮮明さで認識するという意味ではありません。特定の対象だけを追いかけず、さまざまな経験が生じては移り変わることに気づいている、という意味です。

「自分」も、全体の一部

注意が広がると、

周囲の景色がある。
音が聞こえている。
空間が広がっている。

思考が浮かんでいる。

身体に感覚がある。

そのすべてが、いまここに存在している。

そこでは、

「私が世界を見ている」という感覚から、
「私もまた、この世界のなかに存在している」という感覚へと、

経験のあり方が変化することがあります。

自分の存在がなくなるわけではありません。
自分だけが特別な中心を占めているわけでもない。

自分自身も全体を構成する
「いろいろ」のひとつとして感じられる。

これは、非二元的な気づきとも重なりうる、とても興味深いところです。

身体に緊張も「それも全体の一部」

私たちは、身体に緊張や不安があると、
ついそれをなくそうとすることがあります。

「この緊張を緩めなければ」
「もっとリラックスしなければ」
「不安を感じない状態になりたい」

そんなふうに、
身体の緊張そのものが

「注意の中心」

に置かれることもあるでしょう。

その緊張に注意が集中しているときには、

「緊張が自分の経験のすべて」

であるかのように感じられることがあります。

一方で、注意が広がると……

肩には緊張がある。

同時に、足は床に触れている。
窓から光が入っている。
外から鳥の声が聞こえてくる。
呼吸も続いている。

その肩の緊張も
「いろいろ、全体の一部」
として存在しています。

緊張はなくなっていない。
けれども、緊張が自分のすべてではない

ことにも気づいている。

すると、緊張との関係が変わり、
結果として身体が緩みやすくなることもあります。

大切なのは「緊張をなくそう」ではなく、
緊張以外の経験にも気づける余地が生まれること。

視野が広がると、選択肢も増えていく

ひとつの対象に注意が固定されているとき、私たちはその対象への反応を繰り返しやすくなります。

しかし、注意が広がることで、それ以外の情報も意識に入りやすくなります。

「不安がある」ということに気づきながら、
同時に「いま、安全に座っている」という感覚にも気づける。

「身体が緊張している」ということに気づきながら、
目の前に広がる穏やかな景色にも気づける。

オープンモニタリングを体験してみる

では、実際に注意を広げる感覚を少し体験してみましょう。

まずは、周囲を自然に眺めてみます。

何かひとつをじっと見つめるのではなく、
視界に広がっている景色全体を、ぼんやり眺めてみてください。

次に、周囲の音にも気づいてみます。

遠くから聞こえる音、近くから聞こえる音。

無理に聞き取ろうとする必要はありません。

そして、身体の感覚にも気づいてみます。

椅子に触れているところ。

足が床についている感覚。

呼吸や、身体の重さ。

さらに、思考や感情があれば、それらもそのままにしておきます。

何かを追いかける必要も、何かを消す必要もありません。

景色も、音も、身体も、思考も、感情も。
「いろいろ」が、いまここを構成して、ひとつとして存在している。

そんなふうに感じられるでしょうか。

うまくできているかどうかを判断する必要もありません。

注意がどこかひとつに向かったら、そのことに気づき、また自然に周囲にも気づいてみる。

それだけで十分です。

身体感覚に注意を向けることで不安や不快感が強くなる場合には、無理に続けず、目を開けて周囲の景色など、安心して眺められるものに注意を向けてください。注意を広げることが負担になる場合もあります。

ここまで、

集中注意「単色」の景色

オープンモニタリング
「グラデーション」の景色

にたとえてきました。

単色が悪く、グラデーションがよいというわけではありません。

何かに取り組むときには、ひとつの対象に集中することが役立ちます。

一方で、考えごとや不安にとらわれているときには、
注意を広げることで、ほかの可能性に気づけることがあります。

そして、

「ひとつに気づいている」から
「全体に気づいている」へと変化するとき、
世界との関わり方そのものが変わって感じられる

自分の思考や感情が世界の中心を占めるのではなく、
自分自身もまた、広がる世界の一部として存在している。

身体に緊張があってもいい。
思考が浮かんでいてもいい。
感情が揺れていてもいい。

それらも含めて、さまざまなものが同時に存在している。

「ひとつ」の状態を変えるために頑張るのではなく、すでに存在している「いろいろ・全体」に気づいてみる。

すると、これまでとは少し違った世界の感じ方が、生まれてくるのかもしれません。

ひとつの色を消すというより……
それ以外もあることにも気づいてみると、
その色も、グラデーションの一部であることに気づきます。