
人が苦手だから疲れるのではなく、人といるあいだ、ずっと「自分を調整している」から疲れることもあるのでは?
「人と会うと疲れる」は、ひとつではない
「人と会うと疲れる」
そんな感覚があると、
「私は内向的だから」
「コミュニケーションが苦手だから」
と思うことがあります。
もちろん、それもひとつの可能性です。
けれど、もうひとつ見てみたいのが、
人といるあいだ、
自分がどのくらい“自分を監視しているか”
ということです。
たとえば、
「いまの言い方、大丈夫だったかな」
「相手は退屈していないかな」
「ここでは、どんなテンションが正解だろう」
「ちょっと話しすぎたかな」
「この人には、こういう私でいたほうがよさそう」
そんなふうに、
相手を見る → 自分を見る → 調整する
という処理が、ずっと続いていることがあります。
内向性とは?
- 大人数よりも、少人数や一対一の関わりを好む
- にぎやかな場所より、静かで刺激の少ない環境を好む
- 一人で過ごしたり、考えごとをしたりする時間を大切にする
- 話しながら考えるより、考えてから話すことを好む
- 広くたくさんの人と関わるより、少数の人と深く関わることを好む
- 外からの刺激や出来事よりも、自分の思考や感情など内側の世界に注意が向きやすい
- 新しい人や場所では、すぐに入っていくより、まず様子を見てから参加することがある
- 活発な交流が長く続いたあとは、一人で静かに過ごす時間を求めることがある
- 自分から積極的に刺激や交流を求める程度が、外向的な人に比べて低い傾向がある
ただし、これらはあくまで「傾向」です。
内向的=人が苦手、人見知り、コミュニケーションが苦手という意味ではありません。
心理学では内向性は、
ざっくり「人づきあいが苦手」という意味ではありません。
心理学では一般に
外向性―内向性
内向性(introversion)は、
外向性(extraversion)と対になる性格特性のひとつです。
性格特性の連続体として扱われ、内向性側の人は一般に、外向性側の人に比べて「社交性・自己主張性・活発さなどが低めに現れる傾向」があります。外向性―内向性という連続した傾向のなかで、その人がどのあたりにいるのかと捉えるほうが近いでしょう。
内向的な人は、一般に、
外の世界へ積極的に働きかけることよりも、
自分の内側の思考や感情に注意を向けやすく、
静かに考えたり、一人で取り組んだりすることを好む傾向があります。
内向的な人でも、
人と話すことが得意なことはあります。
人が嫌いなわけでもありません。
ただ、
- 大勢での交流より少人数を好んだり、
- 活発な社会的刺激を積極的に求める程度が低かったりする
傾向があります。
つまり、「人と関われるか」と「内向的かどうか」は別の話です。
なので、
内向的=人が嫌い
内向的=コミュニケーションが苦手
内向的=人見知り ということではありません。
- 人と話すことは普通にできる。
- でも、長時間の交流より一人で過ごすほうを好む
- 大人数より少人数のほうが楽
という人も十分に内向的です。
外向的な人は、人と会うと充電される?
内向的な人は、一人になると充電される?
これは感覚的にはわかりやすい表現ですが、
心理学的には、
これだけで内向性を説明するのは少し単純すぎます。
外向性については、報酬や接近動機への反応性などとの関連も研究されていますが、「外向型は人からエネルギーを得て、内向型は人にエネルギーを奪われる」という単純な生物学的仕組みが確立しているわけではありません。研究上も、外向性の中心的特徴をどう捉えるかについて複数のモデルがあります。
「高い自己監視傾向」とは?
(セルフ・モニタリング)
心理学で self-monitoring(セルフ・モニタリング) と呼ばれる概念です。
「いま、この場ではどんな振る舞いが適切か」を
周囲から読み取り、自分の見せ方や行動を調整する傾向
たとえば、
相手の表情を見る
↓
「いま、どう思われている?」
↓
自分の話し方や表情を確認する
↓
その場に合うように調整する
↓
また相手の反応を見る……こんなループです。
自己監視そのものは、悪いものではありません。
むしろ、
① 他者の表情や振る舞いなどへの感受性
② 状況に応じて自己呈示を変える能力
相手や状況に応じて柔軟に振る舞える
という、社会生活で役立つ能力にもなります。
たとえばセルフモニタリングが高い人では、
「この人には、このくらいのテンションがいいかな」
「ここではあまり自分の意見を強く出さないほうがいい」
「今の発言、変じゃなかったかな」
「相手がちょっと退屈そうだから話題を変えよう」
など、自分と周囲をモニターしながら振る舞いを調整することが多くなります。
これは必ずしも悪いものではありません。
社会的な適応力として働くこともあり、最近のレビューでも、高セルフモニタリングは状況に応じて自己呈示を柔軟に変える傾向として整理されています。
ここが社会的カモフラージュと重なる
こちらの記事で取り上げて、ASDの社会的カモフラージュでも、
周囲を観察する
→「ここではどう振る舞えばいい?」と推測する
→自分の振る舞いを調整する
→相手の反応を見る
→さらに修正する
ということが起こりえます。セルフ・モニタリングはASDの社会的カモフラージュ専用の概念ではありません。1970年代から一般的な社会心理学の個人差として研究されてきたものです。
| 内側で起きていること | 外から見える姿 |
|---|---|
| 一般的な社会適応 | 「場に応じて役割や振る舞いを調整する」 |
| 内向性 | 人づきあいを控えめにする |
| 高セルフモニタリング | 場に合わせて振る舞いを変える |
| ASDの社会的カモフラージュ | 自然には読み取りにくい社会的情報を、 観察・学習・推論によって補って合わせる |
| 社会不安 | 評価を気にして慎重に振る舞う |
| トラウマ/防衛的な適応 | どう見られるかが怖いので、間違わないように振る舞う |
これらは外側から見ると、全部
「人に合わせる」
「本来の反応を抑える」
「家に帰ると疲れる」
ではあるので、
①いつ頃からあるか
②何を難しく感じているのか
③何を避ける/補うためにその行動をしているのか
④一人でいるときにはどうなるのか
もその背景にあるものをみていくヒントになります。
内側で使っている処理量・負荷は、まったく違うかもしれない。
たとえば二人とも、
笑顔で話している。
相手に合わせて会話している。
場の空気も読めている。
外から見ると、まったく同じように見えるかもしれません。
でも一人は、ほとんど意識せず自然にやっている。
もう一人は、観察 → 判断 → 調整 → 確認を繰り返しながらやっている。
外から見える「できている」は同じでも、
内側で使っている処理量・負荷は、まったく違うかもしれない。
これは、ASDの社会的カモフラージュの話ともつながりますが、自己監視が高いからASDということではありません。自己監視は、もっと広く一般の人にもみられる個人差として研究されてきた概念です。
内向的だから疲れる?
それとも「調整しすぎで」疲れている?
ここで、少し問いを変えてみます。
「私は内向的だから、人といると疲れる」だけではなく、
「人といるとき、私は何をしている?」と観察してみる。
人そのものが刺激になっているのか。
大人数だから疲れるのか。
音や情報量が多いから疲れるのか。
それとも、
相手を読み、自分を読み、
ずっと自分を調整しているから疲れるのか。
「人疲れ」というひとつの言葉のなかにも、
違う負荷が隠れているかもしれません。
どんなときにセルフ・モニタリングが強く働くのか?
大事なのは、
「自己監視(セルフモニタリング)をやめよう」とすることではありません。
自己監視によって、人とうまくつながれたり、
自分を守れたりすることもあります。
それよりも、
私は、誰といるときに自己監視が強くなる?
どんな場所では、自分をあまり調整しなくていい?
どんな相手なら、「ちゃんとしなくても大丈夫」と身体が感じている?
と見てみる。すると、
「私は人づきあいが苦手」という自己理解から、
「この神経系は、この環境ではたくさんの調整を必要としている」
という見方に変わってきます。
これはかなり大きな違いです。
私は人といるとき、
どのくらい“自分でいること”に力を使っている?」
人と自然につながれることと、
人に上手に合わせられることは、
同じではありません。
外から見れば、どちらも
「コミュニケーションができている」ように見えます。
でも、その内側では、
どれくらい自分を見張り、
どれくらい自分を調整しているのか。
そこには大きな違いがあるかもしれません。
だから、
「私は人づきあいが得意? 苦手?」だけではなく、
「私は人といるとき、どのくらい“自分でいること”に力を使っている?」
そんなところから、自分の神経系を眺めてみてもいいのだと思います。




