「精神疾患の遺伝子」は見つかっていない

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著者は、

  • 感受性の高さそのものが病気なのではない。
  • 遺伝的な違いによって、人は環境から受ける影響の大きさが異なる。

と説明します。

感受性の高い人は、

  • ストレスからより深く傷つくこともある一方で、
  • 良い環境からも、より大きな恩恵を受けられる可能性があります。

遺伝学者R. C. Lewontinの言葉を引用し、

遺伝子は環境への感受性に影響し、
環境は遺伝子の働き方に影響する。

つまり、遺伝と環境は切り離せるものではなく、
互いに影響し合っているという考え方です。

「脳は固定された器官ではなく、
人生と人間関係によって形づくられる」

  • 幼少期の逆境は、精神病を含む精神疾患のリスクを大きく高める。
  • 精神疾患で見られる脳の変化は、過酷な環境への適応反応として理解できる可能性がある。
  • 心の健康を左右するのは、虐待の有無だけでなく、
    人との安全なつながり(connectedness)である。
  • 「敏感すぎる」ことは欠点ではなく、環境の影響を受けやすい特性であり、
    良い環境では大きく成長する力にもなり得る。
  • 遺伝と環境は対立するものではなく、
    互いに作用し合って心身の発達を形づくるという視点が重要である。

つまり、「感受性の高さ」は欠陥ではなく、環境への反応性が高い特性なのです。

同じ「敏感さ」の遺伝的特性も、
ストレス環境では苦しみを強め、
支えられる環境では回復力や幸福感を育てる

「精神疾患の人」は特別ではない

著者は、自身が医学生だった頃に出会った
精神病を抱える若い男性との思い出を語ります。

最初は研究対象として質問していた著者に対し、その男性は途中でこう言います。

「君は、自分のほうが僕より賢いと思っているんだろう。」

この一言に著者は衝撃を受けます。

彼はその男性から、人間や存在について深い洞察を学び、「精神疾患の人」を単なる患者としてではなく、一人の人間として見ることの大切さを実感したと振り返ります。

「精神疾患の遺伝子」は見つかっていない

著者は、

一般メディアでは「精神疾患の遺伝子」があるかのように語られることが多い

と指摘します。

しかし実際には、

  • 多額の研究費を投じたDNA研究にもかかわらず、
  • 精神疾患を直接引き起こす単一の遺伝子は発見されていない
  • 特定の精神疾患だけに対応する遺伝子群も見つかっていない

と説明します。

遺伝カウンセラーのヨハンネ・オースティンの言葉も引用されています。

「誰もが精神疾患になりやすい遺伝的要素を多少は持っています。しかし、それだけで病気になるわけではありません。違いを生むのは、『人生で何が起きたか』なのです。」

なぜ「遺伝子説」は支持されやすいのか

最後に著者は、「遺伝子が原因」という説明が広く受け入れられる理由について考察します。

その理由の一つは、

「遺伝だから仕方がない」と考えることで、
自分や親、社会の責任や罪悪感から距離を置けるからではないか

という点です。

しかし著者は、人生はそれほど単純ではなく、

心理的・社会的・発達的な要因を含めた全体像を見る必要があると締めくくっています。

「私たちを分けるのは、遺伝子ではなく、『人生で何が起きたか』である。」

  • 感受性の高さは病気ではなく、環境への反応性の高さである。
  • 同じ特性でも、環境によって苦しみにも才能にもなり得る。
  • 精神疾患を引き起こす単一の遺伝子は、現在まで見つかっていない。
  • 遺伝よりも、**「人生で何が起きたか」**が精神的苦しみを理解する鍵になる。
  • 「遺伝だから」という説明は安心感を与える一方で、人間の複雑な現実を単純化してしまう危険もある。

著者は、「すべては遺伝子で決まる」という見方には、一見すると人を責めなくて済むという利点があると認めます。

もし精神的な苦しみが「気まぐれな遺伝子のせい」だと考えれば、

  • 本人を責める必要もなく、
  • 親を責める必要もなく、
  • 社会を見直す必要もなくなります。

しかし著者は、ここに大きな問題があると指摘します。

遺伝子説が見えなくしてしまうもの

遺伝だけを原因と考えると、

  • 子どもを支える養育環境
  • 社会的な格差
  • 偏見や差別
  • 慢性的なストレス
  • 人間関係の断絶

といった、精神的苦しみを生み出す社会的・環境的要因から目を背けることになってしまいます。

著者は、これは歴史的にも、

  • 優生思想
  • 骨相学(phrenology)
  • 「生まれつき劣っている」という発想

と同じ方向性を持つ危険性があると警鐘を鳴らしています。

「責任」と「責めること」は違う

著者は、

遺伝子決定論にしがみつくことは、皮肉にも私たち自身を無力にしてしまう

と述べます。

もし「すべて遺伝だから変えられない」と考えれば、

  • 自分自身が回復に向けてできること
  • 家族や地域社会ができること
  • 社会全体で改善できること

が見えなくなってしまうからです。

一方で著者は、

責任(responsibility)と
罪悪感・非難(guilt / blame)を区別する必要がある

と強調します。

つまり、

  • 親や本人を責める必要はない。
  • しかし、これからより良い環境をつくる責任は、私たち一人ひとりにある。

という立場です。

「私たちの心の健康は遺伝子によって運命づけられているわけではない。だからこそ、誰かを責めることなく、私たち一人ひとりが回復や社会の改善に向けてできることがある。」

  • 「遺伝ですべて決まる」という考えは、人を責めずに済む一方で、社会や環境の問題を見えなくしてしまう。
  • 精神的苦しみは、遺伝だけでなく、人間関係や社会環境との相互作用の中で生まれる。
  • 責任を持つことと、誰かを責めることはまったく別である。
  • 精神的健康は運命ではなく、環境や関わり方を変えることで回復や成長の可能性がある

参考図書:The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture (English Edition)  Gabor Maté MD  (著)