
どのフロアにいてもいい。
いま2階(ハイゾーン)にいるのなら、頑張っているかんじがある。
地下(ローゾーン)にいるのなら、動けない感覚がある。
まず、そのことに、気づくこと。
そこから、いまの自分にとって
「心地よい方向を、探ってみること。」
非二元 × 自律神経✖️「3階建てのお家」
私たちは、同じ世界に生きていても、そのときの心身の状態によって、世界の感じ方がずいぶん違うことがあります。
何かが足りないように感じて、
頑張らずにはいられないとき。
もう何もできないような気がして、
動くことさえ億劫になるとき。
そして、特に何かを手に入れたわけでもないのに、
ただ、おだやかで、満ち足りているとき。
この自律神経の違いを
地上2階・地下1階の
3階建ての家
から眺めてみたいと思います。

2階|神経が高ぶりすぎた状態のハイゾーン
ハイゾーン(交感神経優位の状態)
神経が高ぶりすぎた状態をさします
心身が活性化し、
緊張や焦りが強くなっていて、
心身が興奮している
「ハイテンション」な状態
たとえば、
- もっと頑張らなくちゃ
- まだまだ足りない
- 負けられない、勝たなきゃいけない
- ちゃんとしなきゃ
- 何とかしなきゃ
- このままではダメだ
そんなふうに一生懸命に生きているとき、
いまここには
「ないない」という感覚があります。
いまここには安全や安心が
「ない」というときの反応です。
もっと「成果」を出そうとしたり、
何かを「手に入れよう」としたり、
自分を「変えよう」としたりすることで、
いまここを埋めようと頑張っているのかもしれません。
自律神経の視点で見れば、
交感神経系の活動が高まった状態
と重なることがあります。
身体は活動に向けて準備し、注意は問題や課題へと向かいやすくなります。
もちろん、交感神経の働きそのものが悪いわけではありません。
活動したり、挑戦したり、
何かを創造したりするためにも大切な働きです。
ただ、そこに「いまのままでは足り、ない」という切迫感が重なっていると、
頑張り続けなければ、ダメ(安心できない)
強い興奮がないと、実感できない(満たされない)
「ない、ない」から、動き続ける。
ということも起きてくるのかもしれません。
ハイゾーン:交感神経優位とドーパミンの関係
なぜ、人は頑張り続けてしまうのか
(なぜハイゾーンから降りにくいのか)を
ドーパミンというホルモンから考えてみます
ドーパミンは「欲しい・手に入れたい」
- 交感神経系:身体を活動・緊張・防衛へと向かわせる仕組み。
- ドーパミン系:動機づけ、報酬の予測、学習、何かを求めて行動することなどに関わる仕組み。
両者は影響し合いますが、同じものではありません。
ドーパミンが増えたから必ずハイゾーンになる、という関係でもありません。
神経科学では、報酬について次の2つを区別します。
| Wanting(欲求・追求) | Liking(快感・満足) |
|---|---|
| 欲しい! | 心地よい |
| 手に入れたい! | 味わっている |
| もっと! | これで十分 |
| 目標に向かう | 喜びを感じる |
ドーパミンは、特に左側「 Wanting 」に深く関係しています。
これを3階建ての家に重ねると、
2階(ハイゾーン)で起きがちなこととして、
「ない」→「欲しい」→「頑張る」→「まだ欲しい、もっと欲しい」
この循環を支える仕組みのひとつとして
ドーパミンによる動機づけが関係している可能性があります。
そして、この「欲しい」を繰り返しても満足しているとは限らないので「まだ、ほしい。もっと、ほしい。」が繰り返されるわけです。
自分自身の「自律神経の傾向」を知ることで、アップダウンをコントロールすることもできる
また、場合によっては、、、
地下・ローゾーン・背側迷走神経から十分な距離をとりたい(そのために2階・ハイゾーンをキープしようとしている)
……というケースもあるのかもしれません。
活動が止まったときの静けさ「無力感、虚しさ、さびしさ、落ち込み」などを感じることを避けたくて、交感神経優位や過活動を止められない……という背景があるとき、なかなか自律神経のアップ&ダウン(ハイ&ローの浮き沈み)のパターンを修正できないケースもあるようにおもいます。

村上龍さんの「うつ病にかかった」の描写
ですが、ハイゾーンの反動でローゾーンに急降下する自律神経の動きもあります。
この村上龍さんの「うつ病にかかった」というときの描写には、強烈な高揚(ハイゾーン)のあとに、世界が味気なく感じられ、無気力や落ち込み(ローゾーン)へと移っていく様子が描かれています。
これは自律神経の変化を直接証明するものではありませんが、今回の記事でご紹介している「ハイゾーン・交感神経に上がりすぎた反動によってローゾーン・背側迷走神経に落ちる体験」を連想させます。引用元:良識さんのX投稿

地下|落ち込み、無気力、動きたくなくなるローゾーン
ローゾーン(低覚醒・シャットダウン傾向の状態)
こちらにも「ない」という感覚がありますが、
その反応は2階(ハイゾーン)とは違います。
- どうせ無理
- 私にはできない
- 私には価値がない
- 希望や可能性が見出せない
- 何をしても変わらない
- もう頑張れない
2階(ハイゾーン)では「ない」に対して興奮的反応がでていましたが、地下(ローゾーン)では「ない」に対して、落ち込みという「消極的反応」によって表現されます。
2階(ハイゾーン)の感情が
「怒りや闘争心、攻撃性」
興奮したハイ&能動的な感情反応であるとしたら、
地下(ローゾーン)は
「悲しみ、落ち込み、無気力」
といった消極的な感情反応 です。
そのため、このフロアにいるとき、気力や活力が低下し「無力感や諦め」を感じることがあります。
ポリヴェーガル理論ではこのような状態を
背側迷走神経系による防衛反応
と関連づけて説明することがあります。
※ ただし、実際の低覚醒や落ち込みを背側迷走神経だけで説明できることが、科学的に確立されているわけではありません。
ハイ&ローゾーンに共通するもの
2階(ハイゾーン)とは反対に見えますが、
両者には共通するものがあります。それは、
「何かが、ない」
「何かが足り、ない」
という感覚です。
2階(ハイゾーン)では、その欠乏感をエネルギー源として「頑張る、獲得しなきゃ」という能動的なリアクションが現れてきて、それが地下(ローゾーン)では「諦める、動けなくなる」という方向に現れる。目に見える行動や反応は正反対でも、どちらも
「いまここには、ない」
という感覚がベースとした反応です。
そして、
2階(ハイゾーン)と地下(ローゾーン)では、
視野狭窄(白黒思考、0・100思考)も起きやすいです。
その場合は、
「いまは、視野が、狭まっているかもしれない」
と気づいてみることがそのまま
「視野が広がるきっかけ」にもなります。

1階|なんでもない、おだやかさ「ある」
では、1階はどうでしょうか。
安全・大丈夫ゾーン
(安心・つながりを感じられる状態)
ここは、心身が比較的落ち着き、
安心感やつながりを感じられる状態です。
ポリヴェーガル理論では、
腹側迷走神経系の働きと関連づけて説明されることがあります。
ここでは、
- いま、ここにいる、安心感
- これも、ダメじゃない
- これでいい
- 十分、充足感、くつろいでいる
- やわらかく、静かな肯定感
- 何でもないけれど「心地よい」
- 何かを証明しなくてもいい
- ただ、ある
そんな感覚が生まれやすいのかもしれません。
それは、
- ぼーーーっと空をみているときの感覚
- なんにも考えず、ただ湯船につかっている時のかんじ
- お腹いっぱいで、ぼんやり、くつろいでいるかんじ
そのかんじの例えとして、
ぼんやり……縁側でくつろいでいる
おばあちゃんと猫
の情景を例えとして、わたしはよく使います。

ちょうど地面に隣接した1階という環境は、
「地に足がついた、どっしりとした安定感」も表しています。
特別に幸せなことが起きたわけでもない。
問題がすべて解決したわけでもない。
何かを達成したわけでもない。
それなのに、なんだか、おだやか……満たされている
「なんでもなさ」が 心地よい。
自律神経の波形もおだやかで、
ハイゾーンやローゾーンのような
高低差、落差がない
「なんでもない、おだやかな」ゾーンです。
非二元の探求で語られる
「ただある」「いまここ」という感覚
も、このような心身の状態では、比較的、自然に感じられることがあるのではないでしょうか。
身体が安心を感じているときには、
何かを獲得しようとしたり、
自分を変えようとしたりする必要性が、
一時的に薄れることがあります。
すると、もともと「ここにあった、ある」にも、気づきやすくなるのかもしれません。
実は……どの階にいても、
この「おだやかさ」が、ある。
ここで非二元の視点を
もう少し重ねてみたいと思います。
2階(ハイゾーン)にいるとき。
私たちは「ない」という感覚から、
何かを手に入れようとしています。
地下(ローゾーン)にいるとき。
「ない」という感覚から、
もう何もできないと思ったりもします。
そして1階では、
「ある」という感覚が
自然に現れやすくなります。
けれど、非二元の視点から眺めると、
実は、2階(ハイゾーン)にいても、
地下(ローゾーン)にいても
「ある」そのものは失われていない
ということです。
焦っていることも、
頑張っていることも。
落ち込んでいることも、
動けなくなっていることも。
すべて、いまここに現れといて「ある」
ただ、心身の状態によって、
そのことに気づきやすかったり、
気づきにくかったりするのかもしれません。
そう考えると、1階は「ある」を新しく獲得する場所というよりも、
もともと「ある」ことに気づきやすい場所
と捉えることもできそうです。
だからこそ、身体からのアプローチも大切にしたい
非二元の視点からは、いつだって
「すでに、ある」
「何も欠けていない」
ということを語ることができます。
けれど、心身が強い緊張や落ち込みの中にあるとき、それを言葉で理解できたとしても、実際にそう感じられることは難しいこともあります。
たとえば、
地下(ローゾーン)にいる人に、
「本当はすべてあるんだよ」と伝えたとしても、
その人の身体は、まだ「安心」を感じられないかもしれません
2階(ハイゾーン)で必死に頑張っている人も、
「もう頑張らなくていい」と頭では理解できても、
すぐには緊張を手放せないかもしれません。
だからこそ、身体に働きかけるアプローチにも意味があると感じています。
- 足の裏が床に触れている感覚。
- 椅子や背もたれに支えられている感覚。
- 周囲を見渡して、いまいる場所を確かめること。
- 誰かと一緒にいる安心感。
- ほんの少し、心地よいと感じられるもの。
そうした小さな「ある」を確かめていく体験を通して、心身にとっての安全や支えを確かめていく。
もちろん、身体に注意を向けることが負担になる場合には、無理をする必要はないです
外の景色や音に注意を向けてもいいし、
休んだり、誰かの助けを借りたりしてもいい。
大切なのは、無理やり1階(大丈夫ゾーン)へ移動しようとすることではなく、
いまいる階の自分に、
無理のない支えを用意すること
なのだと思います。
そして……
ここまでのお話は、
いまの状態を知るための手掛かりです。
大切にしたいことは、
2階(ハイゾーン)や
地下(ローゾーン)を「悪い状態」
1階を「正しい状態」としないことです。
私たちの自律神経は、環境や状況に応じて、絶えず変化しています。
活発に活動することもあるし、
立ち止まることもあるし、
休むことも必要です。
そして、落ち込んでいるときに「安心しなければ」と頑張ってしまったら、それこそ地下(ローゾーン)から、頑張って2階(ハイゾーン)に行こうとしているようなものかもしれません。
どのフロアにいてもいい。
いま2階(ハイゾーン)にいるのなら、頑張っている自分がいる。
地下(ローゾーン)かにいるのなら、動けない自分がいる。
まず、そのことに、気づくこと。
そこから、いまの自分にとって
「少しでも、心地よい方向を、探ってみる」ことです。
おわりに|「ない」をなくすのではなく、いま「ある」に気づく
今回の3階建ての家を、もう一度眺めてみます。
2階(ハイゾーン)は「ない」から頑張っている。
地下(ローゾーン)は「ない」から落ち込んでいる。
1階(大丈夫ゾーン)は
「ある・安心感」をベースに生きている。
けれど、建物全体を眺めてみれば、どの階もひとつの家の中にあります。
2階(ハイゾーン)にいても、地下(ローゾーン)にいても、家そのものがなくなったわけではありません。
それと同じように、
私たちがどんな状態にあっても、
いまここに現れている「これは、ある」
そのシンプルな「ある」という感覚に気づきやすい状態を「身体の側からも支えていく」
非二元的な気づきを、自律神経という身体へのアプローチで促すこともできそうです
「ある」ことを、頑張って手に入れようとするものではなく、もう「あった」「ずっと、ある」ことに気づくこと。
もしかしたら、心身が少し安心したとき、ずっとここにあった「なんでもなさ・ある」に、ふと気づくことがあるのかもしれません。
※ 本記事の3階建てモデルは、ポリヴェーガル理論を参考に、主観的な体験と非二元の視点を重ねた概念的な整理です。自律神経を厳密に3種類の状態へ分類できるという意味ではありません。また、ポリヴェーガル理論の神経解剖学的な説明には、現在も科学的な議論があります。




