── 円の内側にいると、円は見えない
思考円の特徴は、
円の内側にいるかぎり
それを構造として認識しにくい
という点にあります。
思考円という構造は、
知識として説明を聞いただけでは、
なかなか実感されません。
「なるほど、そういう考え方もある」
そう理解できても、
「自分がその中にいる」
という感覚や自覚にはつながりにくい。
なぜなら
円の中では
考えている私
判断している私
悩んでいる私
選んでいる私
が、そのまま「これが私だ」という感覚を伴って現れます。
このとき、
思考は対象ではありません。
見るものではなく、見ている側になっています。
思考は「対象」ではなく主体そのもの
主体になっているもの
(一体化しているもの)を、
客観的に見ることはできない
だから、
自分が思考円の中にいる
(思考と一体化している)
という感覚や自覚にはつながりにくい。
思考が
「現実を見ている道具」
「判断している主体」
として機能しているかぎり、
その思考のうごきを
構造として捉えることは難しくなります。
そのため、思考円は
「問題があるから見えない」のではなく、
構造上、見えなくて自然なのです。
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さらにもう一つ、
気づきにくさを強めている要因があります。
それは、
思考円の中で起きていることの多くが、
「正しいこと」「必要なこと」として
社会的に強く支えられている、という点です。
考えること
判断すること
問題を解決しようとすること
これらは、
学校や仕事、日常生活の中で
高く評価されてきました。
そのため、
思考がフルに働いている状態を
疑う理由が、ほとんどありません。
むしろ、疑わないことが
「健全」だとされてきました。
こうして、
思考円は
疑われることのないまま、
自然に閉じていきます。
そしてその内側で、
記憶と予測の思考循環が続きます。
過去を思い出し、
そこから未来を想像する。
後悔し、
期待し、
不安になり、
計画を立てる。
それらが、ほとんど自動的に起きていきます
(自動思考、反芻思考)
この円の循環の中では、
「いま、ここで起きていること」よりも、
思考の内容のほうが
現実味を帯びて感じられます。
その結果、
思考円の内側が、
世界のすべてのように感じられるのです。
ここで大切なのは、
この構造を
「間違い」や「問題」として
扱わないことです。
思考円は、
人が世界と関わるために
自然に形成された枠組みOSです。
誰かが失敗した結果、
できてしまったものではありません。
だから、
気づけなかったとしても、
何かが欠けているわけではありません。
むしろ、
気づけない状態そのものが、
思考円の完成した姿
だと言うこともできます。
このあと起きるのは、
「どうすれば気づけるのか」
という問いかもしれません。
けれど、
その問いが出てきたとき、
すでに思考円は少し性質を変えています。
その話は、次で扱います。
思考円③「円は壊れない:出ようとしない、変えようとしない」へ


