静けさを探す。
答えを探す。
本当の自分を探す。
その姿勢は、まじめで、誠実で、
間違っていません。
けれど不思議なことに、
探せば探すほど、
遠ざかる感じが
生まれることがあります。
探す、という行為の前提
「探す」とき
無意識にひとつの前提が置かれます。
いま、ここにはない
という前提です。
- まだ足りていない
- どこか別の場所にある
- もっと先にある
この前提が置かれた瞬間、
探しているものは
前景としての対象になります。
探しているのは、何か
探しているとき、
私たちはたいてい、
- 状態
- 感覚
- 答え
- 安心感
を探しています。
でも、
それらはすべて、
現れては消えるものです。
どれだけ近づいても、
前景である限り、
安定しません。
探す行為が生む「立ち位置」
探しているとき、
そこには必ず、
探している私
が立ち上がります。
この「私」は、
- まだ足りない
- まだ届いていない
- 正しくできていない
という位置に、
自分を置きます。
探し続けるほど、
この立ち位置は
強化されていきます。
実は、遠ざかっているのは何か
探していることで
遠ざかっているのは、
- 静けさ
- 気づき
- 背景
そのものではありません。
遠ざかっているのは、
それらがすでに在るという前提
探すたびに「ここにはない」という前提が更新されてしまう。
探さない、という意味
「探さない」とは、
- あきらめること
- 何もしないこと
ではありません。
それは 前提を置かないこと です。
- あるとも
- ないとも
- 得たとも
- 失ったとも
決めない。
探しが止まる瞬間
探しが止まるのは、
- 見つけたとき
ではなく - 探していた前提に気づいたとき
です。
「ああ、ここに「ない」という前提で見ていたんだ」
その気づきが、
探しを
静かにほどきます。
もう一度、問いに触れる
探すことが、
なぜ遠ざけるのか。
それは、
探すという行為そのものが、
「ここにはない」という
距離を生み出してしまうから。
そして、
探しがほどけたあとに
残っているものは、
新しく得た何かではなく、
最初から離れていなかったイマココです。
静けさは、なぜ努力を嫌うのか
静かになろうとする。
落ち着こうとする。
余計なことを考えないようにする。
そうやって、努力すればするほど、
静けさが遠のいたように感じることがあります。
努力とは、どんな動きか
努力には、
共通する特徴があります。
- 目指すものがある
- 今は足りていない
- 近づこうとする
つまり「今ここでは不十分」という前提が、
必ず含まれています。
静けさの性質
静けさは、
- 目指されるものではなく
- つくり出されるものでもなく
- 保たれるものでもありません
静けさは、
すでに在る前提
です。
音が消えたあとに現れるものではなく、
< 音が鳴っている間も、ずっと在ります。>
努力が起きた瞬間に起きていること
静けさのために
努力しようとした瞬間、
- 静けさを得ようとする私
- まだ静かではない私
が、
立ち上がります。
これは、
静けさそのものではなく、
静けさを扱おうとする前景
けれど、静けさは、
その動きごと、
すでに包んでいます。
静けさが「嫌う」のではない
正確に言うと、
静けさは努力を「嫌って」いるわけではありません。
ただ、努力を必要としないだけです。
努力が向いているのは、
- 技術
- 習慣
- 能力
- 行動
静けさは、
それらとは
別のレイヤーにあります。
努力がほどけたときに残るもの
努力をやめた瞬間、
何かが起きるわけではありません。
ただ、
- つくろうとしない
- 保とうとしない
- 失う心配をしない
そのとき、
最初から在ったものが、そのまま残る
それを、
あとから
「静けさ」と
呼んでいるだけです。
だから、することはとても少ない
静けさのために
がんばる必要はありません。
ただ、がんばっていることに気づく
それだけで、
動きは
自然にゆるみます。
もう一度、問いに触れる
静けさは、
なぜ努力を嫌うのか。
それは、
努力が始まるより前から、
静けさは、
すでに在るから。
そして、
そのことに気づこうとしなくても、
静けさは、
何ひとつ、
去っていません。
これは「何かを足す」話ではなく、
前提が静かにほどけていく流れです。

