非二元などのお話で「自分はいない、消えた」というような表現がでてきますが、そもそも、その「自分」と呼ばれているものはなんなのでしょうか。
ひとことでいうと、
「なにかをするために必要」だけれど、
それ自体が〈私〉ではないもの。
私たちはふだん、
考えている私
判断している私
選んでいる私
傷ついている私
を「自分」だと思って生きています。
けれど、それらはすべて、
世界と関わるために便宜上、立ち上がっている
「自己っぽい何か」でもあります。
ここではそれを自己モデルと呼びます。
自己モデルとは何か
自己モデルは、
- 世界と関わるための 立ち位置
- 状況に応答するための 構え
- 世界との 窓口
- 行為のための 運用ポジション
のようなものです。
それは、
- 危険を避けるため
- 世界を理解するため
- 人との関係を保つため
に起動する とても優秀な仕組み です。
だから、
考えることも
判断することも
選ぶことも
傷つくことも
何ひとつ、間違っていません。
では、何が問題だったのか
問題はこの自己モデルを
「存在そのもの」だと誤認したときに起きます。
本来は、
- 使われているもの
- 立ち上がっているもの
- 必要に応じて働くもの
であるはずの自己モデルが、
「これが私だ」
「これを守らなければならない」
という位置に固定される。
その瞬間から、
- 正しくあろうとする苦しさ
- 間違えられない緊張
- 評価への恐れ
- 失うことへの不安
が、自然に生まれるようになっています。
だから、することは一つだけ
消す必要はありません。
壊す必要もありません。
ただ、
本体ではなく「役割だった」
と、わかるだけでいい。そうやって、
自己モデルは、正しい場所に戻るだけでいい。
この構造が見えてくると、
が、すべて同じ地図の上に並びはじめます。
もう一度、問いに戻る
自分とは何か。
それは、
何かをするために必要だけれど、
それ自体が〈私〉ではないもの。
そしてそのことに、
すでに気づいている
この 静けさ が、
いつも、ここにあります。

