「悟れない」が安全地帯になっているとき……スピリチュアル・バイパッシング

PNSE・悟り

悟りたい。

もっと静けさに入りたい。
探求を深めたい。

でも、

「なかなか悟れない」
「思うように変化しない」
「いつまで経っても苦しみがある」

そんな悩みを抱える探求者は少なくありません。

けれど、もしかしたら――

その「悟れなさ」にとどまっている事こそが、今の自分を守っているのかもしれません。

つまり、それがひとつの

心理的にバランスが保たれている安全な状態

だから「悟れない」という停滞感
(という安全地帯)に居続けているということです。

スピリチュアル・バイパッシングとは?

スピリチュアル・バイパッシングとは、

本来向き合う必要がある
痛みや葛藤、トラウマ、
身体感覚、人間的な課題を、

スピリチュアルや悟りの探求によって
回避してしまうことです。

*バイパッシングとは……障害物を避けて
別のルートや方法を通る(バイパスする)ことを意味します。

例えば、

「すべては幻想だから」
「私はいないから」
「スピリチュアル的にはこれには意味がある」

という理解が、深い智慧として働くこともあります。

一方で、

「本当は感じたくない、悲しみ」

「認めたくない、怒り」

「怖くて見られない自分」

から距離を取るための道具に、悟りやスピリチュアな解釈がなっている場合もあります。

悟れない(停滞状態)は
回避や防衛が機能している「成果」

もし本当の目的が、

「内面に触れることを避けたい」

だったとしたら、
表面的な悩みである

「悟れない」
「探求が進まない」

という状態は、

実はとても上手く機能している成果になります。

つまり、

真の目的
「内面に触れることを避ける」

という場合においては、

悟れない、探求が進まないという
「表面的な悩み」は
カモフラージュ=本質ではない

そして、その状態に停滞していることが実は
「内面に触れないままでいらえる、安全な状態」をつくってます。


本当の目的は

「内面に触れることを避ける」ことで、

そのことに気づかない、無自覚であることも含めて、
それらが無意識下にある「その状態そのものが本望」

内面にアクセスして
心身が混乱してしまわないようにしている

= 心理的な防衛反応がうまいこと機能している

状態であり、それが真の目的だからです。

本質的な悟り探求に向かうことは「目的ではない

そのような
回避行動・防衛反応が真の目的である場合、

本質的な悟り探求に
向かうことは本望ではない

探求はカモフラージュにすぎず、本来なら根本解決を促すような情報は心理的な回避や防衛を解いてしまう(内面にある根本原因に近づく)ことになり、

それらは

「内面をみることを避ける」
という真の目的にとっては余計なもの

になります。

ここが表層のニーズと本心が食い違っている場合の矛盾になります。

「知りたい(と言うけれど、本当は知りたくない)」

悟りたい(……と言うけれど、内面にあるものに気づいたり、かんじたりはしたくない)

それゆえに、なんども答えや対話をしても
「わからない、気づかない」という現象も起きてきます。

なぜなら、

わからない=停滞したままでいたい

わからないままでいること/停滞している状態は
「触れたくないものに触れない」
という状態にいることの維持でもあるからです。

わからないのではなくて、そこには「わからない状態でいることによるメリット」や恩恵があり、

悟りを求めているようで、

実際には、

「今ここにいる自分」
「まだ、癒えていない部分」
「トラウマ等の身体に残っている傷の痛み」

から意識をズラせること

つまり、その状態がもう
「ゴール・現時点の目的の達成」だからです。

そして、ここからは……

もし、本当に……探求を進めたいという場合のメッセージです

本当に悟りを求めるなら、
向き合う場所は「上」ではなく「ここ」

悟りの探求は、より高い意識へ行くことだけではありません。

むしろ、

今ここにある身体
(その身体で起きていること)

そこに戻ってくることでもあります。

「悟った自分」になろうとするのではなく、
「悟りを求めている自分自身の背景にあるもの」

それを静かに見つめてみます。

探求が止まったとき、それは失敗ではない

もし、いま……

「昔ほど変化を感じない」
「悟りへの欲求が遠のいた」
「探求が進んでいない気がする」

と思っているなら。

もしかすると、それは停滞ではなく、
次の段階への入り口かもしれません。

意識の変化だけではなく、

身体。

感情。

人間関係。

生活。

現実。

そこへ降りてくるタイミングなのかもしれません。

悟りは、人生から「離れる」ことではなく、
人生そのものと深く出会っていくこと。

静けさは、現実逃避のためではなく、
現実を丸ごと受け取るためのベース
「安心」として生かされます。

これは

悟り(タテ)だけではなく癒し(ヨコ)

ほどく(縦軸)+迎えに行く(横軸)+生きる(統合)

というお話ともつながります。