覚醒しても
人間であることは続く
トラウマがあると人は自分自身を収縮させます。
重度トラウマでは
身体から離れて
自分を外から見る
こともあります。この状態で
「わたしはいない/わたしは生まれてもいない」
というような教えを使うと
解離をさらに強める
ことがあります。つまり
トラウマの防御を
スピリチュアルで
正当化してしまう。
スピリチュアルや悟りの教えでは
- 「わたしはいない」
- 「感情を超えるべき」
- 「覚醒した人は思考や感情がない」
と言われることがあります。
しかしこれが誤解されると
身体的、心理的
問題を無視してしまう
心理的痛みを否定する道具になってしまう
ことがある。そこから、
感情を否定
↓
身体を否定
↓
個人を否定
という方向に行ってしまうと、
心理的痛みが
癒されるどころか
悪化することもあります。
スピリチュアルな2タイプ
逃避型と体現型
| 逃避型 | 体現型 | |
|---|---|---|
| 身体 | 離れる | 住む |
| 世界 | 幻想 | 現実 |
| セルフイメージ | 特別 | 普通 |
| 関係 | 孤立 | 接触 |
逃避型スピリチュアルが「身体を避ける理由」
トラウマ状態では「今ここ」にいられない
トラウマ中は
- 見る
- 聞く
- 感じる
といった
👉 環境との接続(orientation)
が弱くなっています。
身体は「現実」を感じさせるから
身体とつながると
重さ
密度
制限
を感じます。つまり
現実をかんじさせる
それとは対照的に
スピリチュアルな体験の多くは、
軽さ・広がり・自由
= 非現実さ
をかんじさせてくれるため
「スピリチュアルな夢」
をとおして、無意識におきていることは
身体や現実を避ける、回避するということです。
身体には「感情や傷がある」
身体感覚には
悲しみ
怒り
恐れ
過去の記憶
なども含まれます。
それらを感じたくない場合、無意識に
身体を避ける
という反応が起きてきます。
(これはトラウマ研究でもよく言われることです)
その代わりに
スピリチュアルな
・ 世界観
・ ストーリー
・ 非現実な物語性
・ スピリチュアル人格
「スピリチュアル世界観をとおした自己防衛」
へ没入することによって
身体・感情・感覚を含めた
「いまここ」を避けるための手段とします。
たとえば
苦しみ(からの回避・逃避反応として)
↓
想像・イマジネーション
↓
スピリチュアル人格をつくる
(宇宙から来たヒーラー、特別な魂など)
・ 自分は特別な存在
・ この世界に属していない
・ 高次の存在
↕︎
(背景)
孤独感への意味づけ
トラウマ等の「身体」感覚からの
逃避先としてのストーリー(=スピリチュアルな世界観)
想像や意識の方が快適
そのように、
スピリチュアルに傾倒しているとき、
身体ではなくて
想像・思考・イメージ の世界に住みやすい。
「身体、内面、感情」から逃避行動になりがちです。
けれど、もし本当のスピリチュアルの実践なら
「スピリチュアル→特別になる」ではなく、
スピリチュアル
↓
普通になる
身体とつながったスピリチュアルは
普通の世界に戻ります。
つまり、非現実的な
「特別な世界」ではない現実です。
そのような逃避先が必要でなくなるため、むしろ
「普通の人になる」
「普通の世界に戻る」
物質世界・身体から
逃げる/避けるではなく、
スピリチュアル
↓
身体=現実に戻る
悟りでいうと
「空の悟りにとどまる」
のではなく
空
+
身体
この身体、世界、人生に
「ここに属している」
「本当にいること」
が起きてきます。
覚醒は人間を無感覚にするものではありません。
防御が溶けると一体性が現れる
トラウマによって作られた
「心理的な殻」がほどけると
生命の一体性が見えてきます。
それは、ずっと「いつも背景に存在していた」ものです。
本当の癒しによって起きることも、
そのような「本来の自分に戻る」ことです。
| 逃避型 | 体現型 | |
|---|---|---|
| 身体 | 離れる | 住む |
| 世界 | 幻想 | 現実 |
| 自己 | 特別 | 普通 |
| 関係 | 孤立 | 接触 |




